2010年12月16日
基肄城へ
九州歴史資料館の館長であり、九州大学名誉教授、伊都国歴史博物館名誉館長などなど、とにかく文化財のジャンルでは知らない人はいないくらいで、日本はもとより世界のも名の轟く西谷正氏と関東地方からの山城ツアー御一行様と基山にいらっしゃいました。
急遽、今朝決まった基肄城巡りの案内を肥前文化財研究会の方々と共にさせて頂きました。
まずは、現在基山町歴史資料館で行われている「きやま展」を見学。西谷氏が説明される話に皆さん興味津々。基肄城の歴史や、それに関わってきた人々、基山独特の文化などのパネル展示を真剣にご覧になる姿は印象的でした。
資料館を後にし基肄城[基山(きざん)]へ・・・
今日の基山は特別に寒く、下界から見る基山山頂は真っ白。こちらの「今日、本当に基山に登るんですか?」の問いに、皆さん笑顔で「登ります」と。参加者の方の中には92歳の方も!!聞いたのが恥ずかしいくらいでした。
「昔(昭和30年くらいまで)は天然のスキー場があったらしいですよ」と説明し、ちらつく雪のなか山頂に到着。稚拙ながら土塁線の事や、中世の時代に使われていた跡などを説明させて頂きました。晴れていれば博多湾、有明海、英彦山など見渡せるんですが・・・と思っていましたが、「太宰府はどの方角?」「水城は?」「大野城は?」「じゃあ敵が攻めてきたらこの辺で狼煙を上げれば良いね。」「土塁線、歩きたいね(時間の都合上、土塁線は案内できませんでしたが)」と、とにかく皆さんの貪欲さはすごい!
参加者のお一人からは「これまで大野城や水城、太宰府には何度か行った事があるが、今回、基肄城に来る事ができて本当に良かった。」「これで悔いはない」と。。。なんだか泣きそうになりました。
徐々に雪が積もり始め「今でも、もうすぐスキーができるんじゃない」なんていわれながら下山。山頂からの景色はいまいちでしたが白く染まっていく基山もなかなか良いものでした。
その後の水門跡では「いろんな水門を見てきたけど、ここは今でも水が流れている」と驚かれていました。
午前中の短い時間ではありましたが、皆さん大満足な感じでした。
皆さんの真剣な表情を見ていると、その土地土地に残る文化や歴史は地域の宝物であるということ。地域としてそれと向き合い大事に残し、受け継いでいかなければ!と強く思いました。
急遽、今朝決まった基肄城巡りの案内を肥前文化財研究会の方々と共にさせて頂きました。
まずは、現在基山町歴史資料館で行われている「きやま展」を見学。西谷氏が説明される話に皆さん興味津々。基肄城の歴史や、それに関わってきた人々、基山独特の文化などのパネル展示を真剣にご覧になる姿は印象的でした。
資料館を後にし基肄城[基山(きざん)]へ・・・
今日の基山は特別に寒く、下界から見る基山山頂は真っ白。こちらの「今日、本当に基山に登るんですか?」の問いに、皆さん笑顔で「登ります」と。参加者の方の中には92歳の方も!!聞いたのが恥ずかしいくらいでした。
「昔(昭和30年くらいまで)は天然のスキー場があったらしいですよ」と説明し、ちらつく雪のなか山頂に到着。稚拙ながら土塁線の事や、中世の時代に使われていた跡などを説明させて頂きました。晴れていれば博多湾、有明海、英彦山など見渡せるんですが・・・と思っていましたが、「太宰府はどの方角?」「水城は?」「大野城は?」「じゃあ敵が攻めてきたらこの辺で狼煙を上げれば良いね。」「土塁線、歩きたいね(時間の都合上、土塁線は案内できませんでしたが)」と、とにかく皆さんの貪欲さはすごい!
参加者のお一人からは「これまで大野城や水城、太宰府には何度か行った事があるが、今回、基肄城に来る事ができて本当に良かった。」「これで悔いはない」と。。。なんだか泣きそうになりました。
徐々に雪が積もり始め「今でも、もうすぐスキーができるんじゃない」なんていわれながら下山。山頂からの景色はいまいちでしたが白く染まっていく基山もなかなか良いものでした。
その後の水門跡では「いろんな水門を見てきたけど、ここは今でも水が流れている」と驚かれていました。
午前中の短い時間ではありましたが、皆さん大満足な感じでした。
皆さんの真剣な表情を見ていると、その土地土地に残る文化や歴史は地域の宝物であるということ。地域としてそれと向き合い大事に残し、受け継いでいかなければ!と強く思いました。