2010年11月11日
ありがとう!水門!!
10月下旬からの企画開始から、今日の開催までわずか2週間足らずで進めてきた、ありがとう水門セレモニー「これまでの水門、これからの水門」も大盛況の中、無事終了しました。
開催日が平日の午前中ということや、PRが遅すぎるということもあり、50名も集まって頂ければ御の字だろうと予想していましたが、なんとそれを上回る80名弱の参加者の方々が・・・。感謝感謝です。それよりもやはり皆さんの基肄城や水門に対する想いの強さに感動しました。
まずは教育委員会の担当者の方による出前講座
基肄城が築城されるきっかけとなる白村江の戦いから〜当時の日本、北部九州の状況〜その中での基肄城、そして水門の役割までを分かりやすく説明して頂きました。
子どもたちの真剣な表情が印象的でした。
続いて、ころころ保育園の園児さん+地元6区の区長さん+有志の方々による劇「水門ってな〜に?」
いつものように水門に遊びにきた子どもたちに歴史を語る住吉宮の神様
神様の回想シーンの中では・・・
唐と新羅の兵士が手を組み羅唐同盟(連合軍)が結ばれる場面から始まり
その連合軍と百済との戦
負けた百済は対策を練ります。
その結果、倭国(日本)に助けを求める事にします。
承諾した倭国は戦いののろしを上げます。
唐・新羅連合軍との戦(白村江の戦い)へ
負けた倭・百済連合軍は倭国へ・・・
唐・新羅連合軍が攻めてくることを恐れた天智天皇は亡命してきた百済の憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくふ)に基肄城の築城を命じ、国民とともに建築にとりかかり
城を造り終えると回想シーンは終了し、神様から、「ここ、水門は当時のままです。ころころ保育園のみんなが遊んでくれたり、丸林の方々にはいつもお掃除をしてもらって、作られた頃のままを保つことができました。本当にありがとうございました。でも、石垣がすこ〜し壊れてきたので、今から修理をします。修理が終わったらまた遊びにきてくださいね」
劇が終わり、次に基山町議員・文教厚生常任委員である片山 一儀さんより挨拶。
基肄城・水門が丸林地区はじめ多くの人たちで守られてきたこと、基山町民の誇りであること。そしてこれからもみんなの力で守っていかなければいけないということと、天智天皇がお詠まれになった詩を熱唱して頂きました。
最後には参加者全員でありがとうの気持ちをしゃぼん玉にして飛ばしました。
虹色に輝き、飛んでは消えていくしゃぼん玉。
その中にはたくさんの夢と希望がこめられ、その瞬間の時が刻まれています。
時代時代を見つめてきた水門。
これまで、この水門に関わってきたすべての人々に感謝しながら、
この瞬間に立ち会えた事に感謝しながらしゃぼん玉を飛ばします!!
セレモニー終了後には、“今の水門”を改めて写真に収める人たちがいたり、
私のほうにも「良い企画をやってもらってよかった」「工事される事自体知らなかったから、今日ここに来て良かった」「世間が殺伐としている中、心に潤いが生まれた」などあたたかい言葉を頂き、「このセレモニーをやって良かった」と実感する事ができました。
最後に、短期間での企画、ましてや単なる個人のわがままのような考えを「それはやるべきだ!」と理解して頂き、一緒になって行動してくれた多くの人たちに感謝します。
石垣の改修工事のため今日の午後より調査が行われ、中旬くらいから工事が始まっていくと聞いています。着工まであまり期間はありませんが、1300年以上守られてきた水門の石垣は新しく生まれ変わります。元の姿のままの水門石垣をご覧になりたい方は是非、お早めに水門跡までお越し下さい。
開催日が平日の午前中ということや、PRが遅すぎるということもあり、50名も集まって頂ければ御の字だろうと予想していましたが、なんとそれを上回る80名弱の参加者の方々が・・・。感謝感謝です。それよりもやはり皆さんの基肄城や水門に対する想いの強さに感動しました。
まずは教育委員会の担当者の方による出前講座
基肄城が築城されるきっかけとなる白村江の戦いから〜当時の日本、北部九州の状況〜その中での基肄城、そして水門の役割までを分かりやすく説明して頂きました。
子どもたちの真剣な表情が印象的でした。
続いて、ころころ保育園の園児さん+地元6区の区長さん+有志の方々による劇「水門ってな〜に?」
いつものように水門に遊びにきた子どもたちに歴史を語る住吉宮の神様
神様の回想シーンの中では・・・
唐と新羅の兵士が手を組み羅唐同盟(連合軍)が結ばれる場面から始まり
その連合軍と百済との戦
負けた百済は対策を練ります。
その結果、倭国(日本)に助けを求める事にします。
承諾した倭国は戦いののろしを上げます。
唐・新羅連合軍との戦(白村江の戦い)へ
負けた倭・百済連合軍は倭国へ・・・
唐・新羅連合軍が攻めてくることを恐れた天智天皇は亡命してきた百済の憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくふ)に基肄城の築城を命じ、国民とともに建築にとりかかり
城を造り終えると回想シーンは終了し、神様から、「ここ、水門は当時のままです。ころころ保育園のみんなが遊んでくれたり、丸林の方々にはいつもお掃除をしてもらって、作られた頃のままを保つことができました。本当にありがとうございました。でも、石垣がすこ〜し壊れてきたので、今から修理をします。修理が終わったらまた遊びにきてくださいね」
劇が終わり、次に基山町議員・文教厚生常任委員である片山 一儀さんより挨拶。
基肄城・水門が丸林地区はじめ多くの人たちで守られてきたこと、基山町民の誇りであること。そしてこれからもみんなの力で守っていかなければいけないということと、天智天皇がお詠まれになった詩を熱唱して頂きました。
最後には参加者全員でありがとうの気持ちをしゃぼん玉にして飛ばしました。
虹色に輝き、飛んでは消えていくしゃぼん玉。
その中にはたくさんの夢と希望がこめられ、その瞬間の時が刻まれています。
時代時代を見つめてきた水門。
これまで、この水門に関わってきたすべての人々に感謝しながら、
この瞬間に立ち会えた事に感謝しながらしゃぼん玉を飛ばします!!
セレモニー終了後には、“今の水門”を改めて写真に収める人たちがいたり、
私のほうにも「良い企画をやってもらってよかった」「工事される事自体知らなかったから、今日ここに来て良かった」「世間が殺伐としている中、心に潤いが生まれた」などあたたかい言葉を頂き、「このセレモニーをやって良かった」と実感する事ができました。
最後に、短期間での企画、ましてや単なる個人のわがままのような考えを「それはやるべきだ!」と理解して頂き、一緒になって行動してくれた多くの人たちに感謝します。
石垣の改修工事のため今日の午後より調査が行われ、中旬くらいから工事が始まっていくと聞いています。着工まであまり期間はありませんが、1300年以上守られてきた水門の石垣は新しく生まれ変わります。元の姿のままの水門石垣をご覧になりたい方は是非、お早めに水門跡までお越し下さい。
>>しかし工事は決まっているものの今の時点では、この取り組みついての情報、発信が十分とはいえず、住民の認識、意識にかけるものだと思われ、このまま進められていけば、住民が知らないうちに工事着工、気づいたときには復元されていたという声も少なからずあるのではないかと思います。
この気付きから、2週間と言う短期間の内に自主開催されたセレモニー。それを支えて下さる周りの方々。アーキーさんの思いの支持者であり、住民の代弁者ですね。そして、劇を練習して披露してくれている子どもたち、凄いですね~こうして身に沁みていく文化があるのでしょうね。シャボン玉の演出もとてもステキ☆さすがソーシャルアーティストですね!
単なるイベントに終わらせない、ちゃんと問題提起をしている。
短期間の準備、PR。
素晴らしいと思います。良い糧を得られましたね!
短期間での企画はとにかくしんどい、でも“やらなければいけない事”と思っていた事は間違いではなかったようです(町の計画が変わらなければあと1週間は余裕があったんですけどね)。まぁ今考えれば10日にやるのが必然だったのかな?とも思うし・・・。天候にも恵まれたし・・・。セレモニーをやるにあたって、劇の練習をやってくれている子どもたちを見ていたら、「しっかりやらなければ」と何度勇気をもらったことか・・・。