2011年01月10日
次の世代に受け継ぐためにも
午前中、基肄城の水門跡、東南門跡に元東大阪短期大学教授・城郭石垣研究家・文学博士の北垣聰一郎氏を案内させて頂きました。
両史跡を通して、かなり勉強させて頂きました。まだまだ基肄城には調査の進んでない場所、現在調査中の場所があります。現在調査中の東南門ですが、解明できていない点も多くあるようです。先生曰く、「文化財の調査は重要な事だが、文化財の保護という視点から見れば「破壊行為」という事を忘れてはいけない。なぜ?何のために?調査が必要なのか。その後どのように保存、保護していくのか。を住民と一緒に考えていかなければならない。」
水門跡では、これから改修工事に入る事について、「一部復元するにしても元の状態が分かりづらく難しい工事になるだろう。どれくらいの規模・完成予想で、何のためにやるのかをはっきりさせ公開する必要がある。何より本物ではなくなるということは忘れてはならない」とおっしゃっていました。
なぜ歴史を後世に受け継がなければならないか?そのために今自分たちが考えなくてはならないことや役割を教えてもらった気がします。
午後からは、「基肄城シンポジウム 基肄城を知る ー基肄城とは何かー」に参加。
◆基肄城の時代ー築城の時代背景と経緯ー
田中 正日子氏(元第一経済大学教授)
◆基肄城の歴史と現状ー築城から現在までー
松隈 嵩氏(基山町文化財保護審議会会長)
◆太宰府から見た基肄城ー太宰府史跡群と基肄城ー
小田 富士雄氏(福岡大学名誉教授)
基肄城が築城された歴史的背景、経緯、そして現状からこれからの基肄城はじめ文化財を守っていく私たちの役割や活用法は大変興味深いものでした。
中でも、基肄城が単に太宰府防衛のためだけでなく、中大兄皇子(後の天智天皇)などが活躍した緊迫した時代背景、外交問題も含めた政治的な関係もあった山城であると言う事は、基肄城を単なる遺跡としてとらえるだけではなく、当時の歴史を語る上で重要な役割を持つものだということ。国の史跡となると、国や県が面倒見てくれると思われがちだが、地域(基山)の財産を、これからの子どもたちに受け継いでいくためにも、住民が自分たちのために大切に守っていかなければならないと実感しました。
両史跡を通して、かなり勉強させて頂きました。まだまだ基肄城には調査の進んでない場所、現在調査中の場所があります。現在調査中の東南門ですが、解明できていない点も多くあるようです。先生曰く、「文化財の調査は重要な事だが、文化財の保護という視点から見れば「破壊行為」という事を忘れてはいけない。なぜ?何のために?調査が必要なのか。その後どのように保存、保護していくのか。を住民と一緒に考えていかなければならない。」
水門跡では、これから改修工事に入る事について、「一部復元するにしても元の状態が分かりづらく難しい工事になるだろう。どれくらいの規模・完成予想で、何のためにやるのかをはっきりさせ公開する必要がある。何より本物ではなくなるということは忘れてはならない」とおっしゃっていました。
なぜ歴史を後世に受け継がなければならないか?そのために今自分たちが考えなくてはならないことや役割を教えてもらった気がします。
午後からは、「基肄城シンポジウム 基肄城を知る ー基肄城とは何かー」に参加。
◆基肄城の時代ー築城の時代背景と経緯ー
田中 正日子氏(元第一経済大学教授)
◆基肄城の歴史と現状ー築城から現在までー
松隈 嵩氏(基山町文化財保護審議会会長)
◆太宰府から見た基肄城ー太宰府史跡群と基肄城ー
小田 富士雄氏(福岡大学名誉教授)
基肄城が築城された歴史的背景、経緯、そして現状からこれからの基肄城はじめ文化財を守っていく私たちの役割や活用法は大変興味深いものでした。
中でも、基肄城が単に太宰府防衛のためだけでなく、中大兄皇子(後の天智天皇)などが活躍した緊迫した時代背景、外交問題も含めた政治的な関係もあった山城であると言う事は、基肄城を単なる遺跡としてとらえるだけではなく、当時の歴史を語る上で重要な役割を持つものだということ。国の史跡となると、国や県が面倒見てくれると思われがちだが、地域(基山)の財産を、これからの子どもたちに受け継いでいくためにも、住民が自分たちのために大切に守っていかなければならないと実感しました。
高松塚古墳壁画のカビの様な無残な状態にはしたくないですね。