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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2010年03月01日

基肄城跡巡り

先日、太宰府のボランティアガイドの方々がお見えになり、肥前文化財研究会との基肄城跡の史跡巡りが、基山町教育委員会のガイドにより実施されました。
ところで、基肄城って聞いたことがありますか?
佐賀県には国指定の特別史跡が3カ所あります。名護屋城跡、吉野ヶ里遺跡は、佐賀と言えばというくらい有名なところだと思いますが、もう一つ、実は基山の人なら誰もが?誇りとしている基山(きざん)の山頂に基肄城跡があります。(地名はきやま、山はきざんです)
山頂からは博多湾が・・・・東には英彦山・・・南には有明海が望めます。



あまり知られていませんが歴史も古く、中大兄皇子(後の天智天皇)は大宰府政庁を守るため、664年に水城を、665年には朝鮮式山城「基肄(椽)城」と大野城の2城を築いたとさせています。現在でも基山(きざん)山頂周辺を中心に町内各地にその跡が見られます。
今回は、水門跡から米倉礎石郡、鐘撞堂跡、つつみ跡、土塁跡、東北門跡、北帝門跡、大礎石郡から山頂へ向かうコースを歩きました。




ボランティアガイドの方々、平均年齢60歳位でしょうか?(あくまで推定ですが、外れていたらごめんなさい)そうとは思えないくらいの足の軽やかさ。途中おいて行かれそうになりました・・・。各跡地では教育委員会の田中さんの説明に「へぇ~」「すごい」と、皆さんの感動の声でした。実際、自分自信基山に住んでいながら、足を踏み入れたことのないエリアだったので、皆さんの声を聞きながら、基肄城跡の価値(遺跡や歴史的などひっくるめて)に、あらためて驚きました。

各跡地ごとにおもしろいので、シリーズで書いていきたいと思います。


最後にプチポイント
史跡から史跡への途中至る所で当時の国?県境の石を見ることが出来ます。






何個ぐらいあるかは、実際登ってみてください。  


Posted by アーキー  at 19:24Comments(0)基肄城